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【第八話】月夜の晩の微笑み

僕が墓地の管理人をすることになったのは今から7年前のことだ。

これは管理人として墓地に住んでいた前任者である50代の夫婦から引き継ぎをした時に聞いた話だ。

夜更けに目覚めた夫は、スヤスヤと健やかな寝息を立てて眠る妻の顔を見ながら、軽い嫉妬心を覚えた。

ビール、飲み過ぎたかな。夜中にトイレに行きたくなるなんて。

夫は布団から起きだしたものの、トイレに行くのを躊躇していた。
なぜなら、夫婦が寝起きしている管理棟にはトイレがなく、用をたすときには、わざわざ管理棟を出て、低木の林のように立ち並ぶ墓の脇を通り管理棟の裏側まで行かなくてはならないからだ。トイレまでは大した距離ではない。所詮、敷地内なのだから。
そうは思っても、外灯もなく、冷え込んだ夜気の中を歩いていくのは面倒だった。

我慢することもできず、仕方なしに外に出た。
満月の月明かりに照らされた青白い光が足元まで差し込み、意外にも明るかった。トイレに向かう途中、否が応でも墓地が目に入ってくる。

ふと、目の端に飛び込んできた光景にドキリとした。

誰かいる!

それは、墓石に腰を掛けて夜空を眺めている老人だった。

仕立てのいいツイードのジャケットを着た上品な雰囲気の老人は、歌でも口ずさんでいるように白髪混じりの頭を右に左に揺らしながら楽しそうに何かを待っているようだった。時折、フッと笑みを浮かべ、かけていたメガネを少しずらして、夜空に瞬く、儚げな星々を見上げていた。

こんな時間になにしてるんだ。不審者か。

怪訝に思い、後で注意してやろうと思いながら、とにかくトイレへ向かった。
やがて、用を足して、墓地を見渡せる庭に戻ると、さっきまで墓石に座っていた老人は姿を消していた。どこかにまだいるはず、と思いながら、念入りに墓地を巡回したが、猫の子一匹見当たらなかった。
もちろん、門の錠前もしっかり閉められていた。

おかしいな。どこから逃げたんだろう…

腑に落ちないまま、管理棟に戻ると、眠気には勝てずにそのまま床に就いてしまった。
翌日になり、夫は昨夜の不審者のことを大して気にかけることもなく、庭中のすっかり色づいた落ち葉を拾い集めるのに精を出していた。

「おじいちゃん、なかなか来れなくてごめんなさいね」
「お父さんの部屋は、元気だった頃のままになっていますよ」
「おじいちゃん! 僕があの部屋使ってもいいでしょ」

風に乗って、線香の香りが漂ってきたその先に視線を向けると、昨夜、老人が座っていた墓石の前で親子連れがお参りをしている。
墓に眠る人ではなく、あたかも生きている人と会話をしているように、極自然な振る舞いが微笑ましかった。
ふと、親子連れの会話を聞きながら、昨日の月夜の晩の楽しげな老人を思い出した。

おじいちゃん。あの老人はもしかして、この家族の…。

ゴミ袋からあふれるほどいっぱいになった落ち葉を片付けて管理棟に戻ると、参拝客の休憩室で妻がさきほどの家族にお茶を出しているところだった。
夫は、思い切って昨夜の出来事を、その家族に話してみた。
黙って頷きながら話を聞いていた家族は、顔を見合わせてやさしく微笑んだ。

「そうですか。白髪でメガネをかけ、ジャケットを着ている…。父の旅立ちの時、お気に入りのジャケットとメガネを持たせたんです。その老人はたぶん、父だと思います。今日は父の命日なんです。きっと、父が楽しみに待っていてくれたのでしょう」

あの世とこの世。
深くて大きな隔たりがあり、どんなことがあっても元に戻すことができない絶対的な真実。しかし、家族の絆は生死を分けても永遠に強く、堅く結ばれているものなのかもしれない。
この話を聞いた直後、僕はやさしい気分に満たされた。
昨年亡くなった僕の父も、墓参りに訪れる僕たち家族を待っているんだろうか。
そう思うと、なんだか無性に父の墓参りに出かけたくなった。

今回の語り手

魂の巾着 本多おさむ

1983生まれ。
2011年からコンビ「魂の巾着」で金井祐介と活動中。
上京後7年間、住み込みの墓守をして暮らしていた。

半年前に墓地の管理人を辞めて、現在はフツーのアパートに住んでいます。今思えば、住み込みの墓地の管理人は貴重な体験でした。
霊感がなかったことが幸いだったのかもしれません。
霊感があったら、今頃、僕はどうなっていたのでしょうね。

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