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【第一話】ソープランド街の女

2年前の事だった。
僕は芸人としてライブ活動をする傍ら、1週間に1~2回アルバイトをしていた。
場所はソープランドが軒を連ねる一大歓楽街として有名な川崎市堀之内。その堀之内のソープランド街の一角にある簡易宿泊所が僕のアルバイト先だった。

僕の仕事は宿泊客の受付と部屋や廊下の清掃だ。
簡易宿泊所は7階建てのラブホテルの1階にあり、廊下が真っすぐ伸びて、その左右に4部屋ずつ並んでいる。相当古いビルらしく、壁は所々、剥がれ落ち、カビ臭い匂いが漂っていた。

宿泊客のほとんどは、華やかで妖しい夜を彩ることに疲れたホステスや風俗嬢たち。中には常宿のように利用している女もいる。

「ちょっと部屋を代えてもらいたいんだけど」
バタバタと部屋から出てきて、怒り出す女。
「ねぇ、他の部屋、空いてないの?やばいよ、あの部屋…」
目に涙をいっぱい溜めながら、小刻みに体を震わせる女。
またあの部屋だ。
深夜、左側の一番奥の部屋に泊まった客からの苦情が立て続けにあった。
「実は、あの部屋には何かがいるらしいんだよ。霊感の強い人は感じるみたいなんだけど、俺、ほら、そういうの興味ないしさ」と、オーナーはすました顔で言い放った。
オイオイ、勘弁して下さいよ~。最初に言ってよ、そういうコトは! と、僕は心の中で叫んでみたものの、黙ってうなずくしかなかった。
「そうだ。大江くんさぁ、バイト代払うからあの部屋に泊まって、確かめてみてよ、何がいるのか。お笑いのネタになるかもしれないしさ」
えぇーっ! 冗談でしょ。嫌だよ。怖いよ。
「じゃ、今晩から頼むわ」

布団をかぶって朝まで寝てしまえばいいんだと自分に言い聞かせて、結局、僕は引き受けることになった。
小さなテーブルとソファ、そして椅子が置かれた7畳ほどの和室には、お世辞にもフカフカとは言えない、重たい綿布団が一組敷かれている。
僕は疲れていたのか、図太い神経なのか、布団に入るとあっという間に眠ってしまった。

夢を見た。

夢の中の僕は、さっき布団をかぶって寝たはずの部屋にいた。布団の中で横になっている僕は、まとわりつくような重たい気配に、そっと目を開け、目線をグルリと動かしてみた。すると…、
ありえない光景に体がピクリとも動かなくなってしまった。

見知らぬ女が…………、いた。
髪の長い女が椅子に座っているのだ。ちょっとうなだれたように首を傾げて、悲しげに、静かに僕の寝姿をただ、ただ見ている。

うわああ出たー!

勢いよく飛び起きた僕は頭が混乱していた。夢か、現か。あまりにも生々しい感触だけが残った。

「オーナー、ヤバイですよ。見ました。女です。髪の長い女が座っていました。夢だったのかなぁ…。いやいや、はっきり見たもんなあ」
「大江くんさぁ、見ただけじゃだめだよ。その女を倒せ。次はプロレスラーの格好をして、パンツ一枚で女を待とう。パイプ椅子で女をやっつけてしまおう」
ええ?見ただけじゃだめなの?何で幽霊と闘わないといけないの?

翌週の出勤の日、オーナーの言う通り、結局僕はプロレスラーの格好をして、パイプ椅子をあの部屋に持ち込んで寝た。

また夢を見た。

髪の長い女が椅子に座っていた。そして静かに僕を見下ろしていた。
無論、パイプ椅子で女を倒すことなどできるはずもなかった。
そんなことが何度も続いた。

「だめじゃん。情けないなあ。じゃあ、次はフォークを武器にしよう。頼むよ、ホントに」と、オーナーはどんどん、エスカレートしていった。
恐怖心で押しつぶされそうになりながら、一方では不思議なことに、この顛末をきっちり確かめたいという思いに駆られていた。そんな僕は、相変わらずプロレスラーの格好をして、今度はフォークを枕元に置いて、あの部屋に泊まった。

また夢を見た。

しかし、女がいない。女はいつもの椅子に座っていなかった。
何だ、今夜は現れないのか。全身の力が抜けた。
その瞬間、足元に異様な痛みを覚えた。
恐る恐る見ると、何と、長い髪の女は無表情のまま、僕の両足首を両手で押さえつけていたのだ。女の力じゃない…。

僕は言いようのない恐怖心に包まれて、跳ね除けるように飛び起きた。

夢なんかじゃない。これは現実だ。
僕の両足首はジンジンと痺れていた。

「まちがいないですよ。あれは、この世のものじゃない!すごい力だったんだから」
これ以上はやめましょう、と僕はオーナーに必死に懇願した。
「そうか…。決定的な証拠があればなあ。惜しいなあ。よし、あともう1回だけやってみよう」
事も無げにオーナーは言った。

こうなりゃやけくそだ、とことん行くぞ。変な気合を入れて、いつものプロレスラーの格好に、覆面を着けて臨んだ。
枕元にはパイプ椅子、フォーク、殺虫スプレー。わけのわからない万全な闘争体制の上に、わけのわからない勇気が湧いてきた。

今度は女ではなかった。

筋骨たくましい、ガタイのいい男が現れた。だが顔ははっきりしない。
男?何で?予想だにしなかった、まさかの展開に面食らった。
目を凝らすと髪の長い女は男の背中越しから僕を無表情に見ていた。
能面のような男は、僕に馬乗りになると、枕元のフォークを僕に向かって振り上げた。腹の辺りをフォークでグサグサとえぐられているような感触にうめいた。

殺される…!

必死に抵抗をして男から逃れようともがき、男を思いっきり押しのけた。
気がつくと、僕はひとりだった。小さな部屋の中には用意していたものが散乱し、被っていたはずの覆面は外されていた。どれくらいの時間が経っただろう。ズキズキと疼くような痛みが走る体に触った僕は驚いた。右肩から左脇腹、左肩から右脇腹にかけてミミズ腫れの傷が赤く、大きなクロスを描いていた。

「もう、やめましょう。これ以上は危険ですよ」

「ご苦労さん。大変だったね。それにしても、その傷、すごいね。そうだ、そうだ。証拠写真を撮っておかなくちゃ」
オーナーは僕のTシャツをめくり上げて、幽霊と闘った痕跡である大きな傷を写真に収めた。

1週間後、アルバイト先に行くとオーナーの姿が見えない。
忽然と消えたらしい。
それから僕はアルバイトを辞めた。
以来、あの街へ足を運ぶことはなくなった。

椅子に座っていた髪の長い女は、あの部屋で自殺した風俗嬢だったとか。

簡易宿泊所のあるラブホテル。

あの腐りかけた古いビルは今もあるという。

逝く先を見失った異形の者たちを抱えながら。

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