難読駅
一発で読むには難しすぎる!難読駅と呼ばれる駅。しかし歴史を紐くと、そこには古くから伝わる伝承や文化、歴史的事実に基づくものや、地形が語源になったものなどロマンがつまっていました。あなたはいくつ知っていましたか?
正解は「おおみか」。大甕はかつてこの地に存在した久慈村の字名として使われていました。神と人の住む境界として大甕(土器や陶磁器などにみられる大きくて深い鉢のこと)が埋められていたか、あるいは大甕をおいて祭祀が行われた地であったことに由来すると考えられています。
正解は「みつかいどう」。平安時代に武将坂上田村麻呂がこの地で馬に水を飲ませた水飼戸(みつかへと)という故事に由来すると考えられています。
正解は「ほうしゃくじ」。江戸時代に廃寺となった尼寺に由来しています。宝を積むという意味で縁起が良いことから、一時期JR宝積寺駅から同じ沿線上にある大金駅までの切符がよく売れたそうです。
正解は「なんじゃい」。ユニークな読み名ですが、これは古代この地に土着したアイヌ民族が語源のナサイ(川の幅が広いところ)が転訛したという説があります。奈良時代にはこの地を本拠とした南蛇井氏という豪族がいたそうです。
正解は「いしわら」。当駅所在地の地名は「いしはら」ですが、駅名は「いしわら」となっています。地名の由来は荒川の石原(河原)からきていると考えられています。
正解は「おごせ」。その由来は、この地が秩父地方との往来に秩父山地の尾根を越していかねばならず、その尾根越し(おねごし)が尾越し(おごし)となり、それがやがて「おごせ」に転訛したものと考えられています。
正解は「こまがわ」。この地はかつて※高句麗(こうくり)からの亡命者を受け入れたことに由来し高麗(こま)のつく地名が多く存在しました。駅名は近くを流れる高麗川に由来します。(※古代中国から朝鮮にかけて存在していた民族国家)
正解は「さって」。この地には日本武尊(ヤマトタケル)が東征の際に薩手ヶ島に上陸し、雷電神社に農神を祭ったという伝説が残っており、薩手ヶ島の薩手(さって)に由来すると考えられています。
正解は「あじき」。平安時代に度重なる水害によって飢饉に見舞われたこの地の住民が、五穀豊穣を願って駒形神社を創建したところ翌年は大豊作になり”食に安ずる”ようになったという伝承に由来します。
正解は「しすい」。大きなアウトレットがオープンしたことでも話題になりました。地名は「酒の井伝説」という、貧乏な父親のために親孝行の息子が酒の湧く井戸を見つけたという伝説に由来します。
正解は「とらみ」。軍荼利山(ぐんだりさん)にある天台宗・東浪見寺に由来します。沖合に砂泥が堆積することを指す泥海(どろうみ)の語源が転訛したと考えられています。
正解は「はさま」。「いいやまみつる」と人名にも間違えられるこの地の由来は、山と台地の間に位置した地形を指す狭間(はざま)に“お米が山のように収穫できるよう”との願いから当て字にしたのでは、という説が有力なようです。
正解は「まくた」。飛鳥時代にこの一帯を支配した豪族の馬来田氏が由来であると考えられています。
正解は「いくさばた」。戦国時代にこの地で戦(辛垣合戦)があったこと由来します。それを証明するかのように駅近くには 鎧塚(よろいづか)と呼ばれる戦死者の鎧や兜を埋めるために築かれた円墳があります。
正解は「うきまふなど」。埼京線の開業とともに設置されたこの駅は、北区「浮間」と板橋区「舟渡」にまたがった位置にあるためこの駅名になったそうです。
正解は「ばくろちょう」。江戸時代にこの周辺には大きな馬場があり、幕府の※博労(ばくろう)頭が管理していました。その後、管理していた一族がその一帯を譲り受けたことから「博労町」となり、後に「馬喰町」に改称したということです。(※馬の売買やあっせんをする役職)
正解は「はらたいま」。当麻という地名がついた経緯については不明ですが、現在の原当麻駅の西側には、戦国時代すでに当麻宿という名の宿場町が存在したそうです。
正解は「はっちょうなわて」。東海道の川崎宿から次の市場村までの間は八丁(約870m)あり、その区間に位置したこの地が畷(なわて)という耕作地間のあぜ道だったことに由来します。
TOPページへ
特集ページ一覧

© NAVITIME JAPAN. All Rights Reserved.

マイページに追加