
「歌は連帯」を抱いたまま 今振り返ると自分に対して「きちっとしろ」という啓示では、と

体調に異変!救ってくれた整体の先生 僕は16歳からチヤホヤされて生きてきたわけです

エンタメ界の礎を築いた渡辺晋、美佐夫妻 進駐軍ビジネスから時代の変化をくぐりぬけて

「よせばいいのに」でスナックめぐりも レコード店ではスタッフが「エサ箱」で必死の作業

森繁久弥さんの媒酌で結婚 「ゆくゆく結婚するんだからな。ナベシンでなく俺がするから」

行き詰まって寺尾聰さんと曲作り 自分がいいなと思うとまずダメ、聞き手と別なんですよ

「一発録り」の恐怖と闘う 吉田正先生「よくなったよ」、でも歌い方が橋幸夫さんそっくり

「吉田学校」で修業へ ヘドリアン女王とそっくりのメークでうちに来た梓みちよさん

「ヘイ・ポーラ」が大ヒットする マイ・カップルなのにお互いの手に爪の痕がもうすごい

「夢であいましょう」で永六輔さんに学ぶ カンペなき生放送 セリフを必死で覚えました

ウエスタンカーニバルで出会った先輩たち 水原弘さんに「イエスタデイ」を教えました

ウエスタンカーニバルで補導されかける 花まみれの歌手も「僕のときはあんまりなかった」

「日劇ウエスタンカーニバル」出演へ 歌の先生はいずみたくさん、でもサボり癖は直らず

ジャズ喫茶の楽屋で ガラの悪いお店ではボーイが銀盆でお客さんの頭をひっぱたいてました

「ジャズ喫茶」で歌手修業 「ブルー・コメッツ」と回る 新宿ACBで初めてのサイン

「小型裕次郎」と称される 「お前はやっぱり歌う方がいい」「でも俺よりうまく歌うなよ」

「飼育係」にスカウトされる すぎやまこういちさん、平尾昌晃さんから人生設計を学ぶ

「六本木族」との交流 暴力団が急襲 逃げて逃げて高輪の泉岳寺のあたりまで走りました

赤坂「シャンゼリゼ」に入り浸る デヴィ夫人がいた高級クラブ「コパカバーナ」も近くに

「野獣会」誕生 ナゾの女性リーダーは雑誌とのタイアップで「空中ドドンパ大会」開催

60年安保闘争を取材 興奮のるつぼみたいな雰囲気 靴があちこちに散乱していました

自由だった和光学園 ミッキー・カーチスさんの木登り伝説 上野駅に響いた「国学連の歌」

劇団「こまどり」に入る 中村メイコさんの別荘で神津善行さんとの仲を邪魔していました

「ゴッドマザー」に育てられ 中尾ミエさんはきょうだい4人の結婚式に出席してくれました

NHKの名アナウンサーだった父 終戦の年に「紅白」で総合司会 テレビの実験放送にも
アクセスランキング

馬事公苑の思い出 終戦後に外国人の女の子と馬車で 匂いは感覚的に心に残るものなのだと

疎開先の岩手で生まれて 世田谷区内を牛車で引っ越し 道路は未舗装だったんじゃないかな

「歌の持つ力」を信じて 自民党本部で「絆コンサート」 Gi!nzも出演

個性的だった歴代会長 「売れてなんぼや」 田端義夫先生の口癖で流行歌手の神髄に触れる

「石にかじりついても」と無縁のまま レッスンでタイツ、1日だけで後は行きませんでした

文化功労者は柔道界全体の栄誉 他の道? すべて断りました 一番いい道を歩いてきたから

組織には「父」と「母」が必要だ 選手はまねから育つ 私は技は勿論歩き方までまねました

リーダーとしてのビゼール国際柔道連盟会長 随分やり合いました、遠慮はしませんよ

なぜ日本は強くなったのか プロとアマの垣根が低くなり…芸能人と一緒に出演は禁止でした

コロナ禍中に開催された東京五輪 もう大変でしたよ、体を接触して行う競技ですからね

ついに「五輪柔道男子金ゼロ」 いつかは「その日」が来ることを早くから考えてはいました

固辞し続けた講道館長就任 居酒屋で説得「いいかげん、覚悟を決めろ」に「断れないな」

大事なのは「指導者の育成」 北京五輪で選手団総監督に 堅苦しさはあったかもしれません

篠原選手が「勝っていた」証拠 放送席で「間違っています」と何度も何度も言いました

「幻」に終わったロンドン赴任 すっかりその気が…みんなが「行くな」と言うんですよ

オリンピックはやっぱり怖い あれほど「最初の3分間は勝負をするな」と言ったのに…

バルセロナで再びアクシデント メディアにあえてウソ「元気で選手村の中を走っとるよ…」

代表監督の辞表に神永先生は…応援団を手で制した斉藤仁選手に「私より落ち着いているな」

「完全アウェー」のソウル五輪 審判もムードに押され…技を掛けてもそっぽを向いている

金メダリストから指導者の道へ 「スター千一夜」に出演も「あまりしゃべれなかったなぁ」