嵐・二宮和也、Jr.時代の丸坊主秘話明かす


【モデルプレス=2020/12/06】5日放送の日本テレビ系バラエティー番組「嵐にしやがれ」(毎週土曜よる9時~)にて、嵐・二宮和也のこれまでの人生を紐解く「二宮和也記念館」と題された企画が行われ、二宮がジャニーズJr.時代にブレイクのきっかけとなった出来事とその裏話が明かされた。

◆二宮和也、オーディションでのジャニー喜多川さんとの会話を回顧

13歳でジャニーズ事務所に入所した二宮だが、「野球をやっていて、(オーディションが)野球の試合と重なったんですけど、親に『なかなか無い経験だから、5000円あげるから行きなさい』って言われて…」とお金目当てでオーディションを受けたことを告白。

「オーディションは行ったら5000円もらえたから、もうゴールだった」とオーディションでは踊らず座っていたことを明かした二宮は、「たぶんジャニーさんに『なんで踊らないの?』って聞かれて、『ここに来たらゴールだから気にしないでくれ』って話をした」とオーディションでのジャニー喜多川さんとの会話を振り返った。

◆二宮和也、ジャニーズJr.時代の丸坊主は「2人が断らなかったらならなかった」

そんなオーディションを経てジャニーズJr.となった二宮は、入所当初はおとなしく目立たない存在だったそうだが、1998年に放送されたドラマ「天城越え」で丸坊主になったことでブレイク。

松本潤も「キャラ立ちしたね」と話した二宮の坊主姿だったが、二宮は「2人(相葉雅紀と松本)が断らなかったら僕は坊主にならなかった」と驚きの告白。

松本によると、当時、生田斗真と二宮・相葉・松本が一緒に舞台に出演しており、その休憩時間に「YOU達にぴったりなドラマの役があるからドラマに出ない?」とジャニーさんから電話がかかってきたという。

しかし、「YOU、坊主になれる?」と聞かれた相葉と松本が断り、二宮だけ「別にいいっすよ」と了承したそうで、二宮は「その時に、当時のサンフレッチェ広島の盧廷潤選手に髪型が似てるってみんなにいじられてて、それだったら別に坊主でいいかなと思って。あそこでいじられてなかったら私もたぶん断ってたでしょうね」と坊主を了承した裏話を振り返り、笑いを誘った。(modelpress編集部)

情報:日本テレビ

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