奈良遺産70
奈良遺産70

奈良遺産70

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古代瓦(元興寺)

国宝の極楽堂と禅室の屋根に敷かれている。飛鳥時代創建で前身の法興寺に使われていた瓦を平城京遷都とともに元興寺に移築。解体修理の際、使用可能な古瓦を再利用した。現在も飛鳥、奈良、平安、鎌倉と各年代の瓦や丸瓦、平瓦が隣り合うように葺かれている。極楽堂と禅室の屋根には古代の軒平瓦もある。1400年もの間、寺を守り続けてきた奇跡の瓦だ。


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奈良晒(ロマントピア月ヶ瀬)

奈良上布とも呼ばれ、江戸時代中期発刊の「日本山海名物図会」には「麻の最上は南都なり」と紹介されるほど麻織物では一級品。徳川幕府の御用品にもなったが明治維新後、需要が減少し衰退の一途をたどる。大正年間に月ヶ瀬に紡職工場が立ち、村の産業として継承される。昭和54年、紡織技術が県無形文化財に指定。同58年に月ヶ瀬奈良晒保存会が発足した。

※毎週水曜日のみ活動されています



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灯芯ひき(安堵町歴史民俗資料館)

低湿地を生かしたイグサ栽培が盛んだった安堵町。イグサの髄部分「灯芯」は灯りの燃え芯として東大寺の「お水取り」など寺社の祭事に使われ、全国に供給されている。今では同町以外で見ることが難しい灯芯作りの技「灯芯ひき」は高い技術と根気強さが必要だ。日本の灯りや伝統祭事を支える貴重な技が脈々と受け継がれている。


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奈良さくらコットン

大和高田市商工会議所が手がける無農薬栽培の綿を使う。薬品を一切使わず手摘みし、漂白も染織もしない綿製品。この地域は大和朝廷以来、機織技術者が住み、江戸時代には綿花栽培が盛んになり、後に商都として発展した歴史を持つ。江戸時代の「大和木綿」の製法で復活した同品は、農薬や化学薬品を使用しないため驚くほど柔らかな手触りだ。

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全国に誇れる杉玉(大神神社)

全国の居酒屋や日本酒の造り酒屋の軒先につるされている杉の葉(穂先)で作られたボール状の造形物。新酒ができたことを知らせ、緑色の杉玉の枯れ具合で酒の熟成度合いをはかる。現在は酒屋のシンボルにもなっているが、古くは大神神社(桜井市)の酒神が起源。酒の神様に感謝をささげるものでもあり、神道の原始的な形を表す。


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奈良のくすり(奈良県製薬協同組合)

日本書紀には推古天皇が宇陀地方で薬狩りをしたとの記述がある。山伏の祖、役行者(えんのぎょうじゃ)の「陀羅尼助」は日本最古の売薬といわれる。中南部地域で製薬業が盛んになり、江戸中期には全国で薬を販売してまわる配置薬業「大和の置き薬」が普及。昭和40年代には約4000人の県出身配置員がいた。置き薬のパッケージはレトロな図柄が特徴。

※宇陀市大宇陀歴史文化館 薬の館や三光丸クスリ資料館などでも奈良のくすりに関する資料が見られます



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手すき和紙(福西和紙本舗)

国栖(くず)地方の伝統工芸で「宇陀紙」とも呼ばれる。材料のコウゾやミツマタなどの樹皮を冬の川で洗う光景は吉野の風物詩。1枚1枚職人が丁寧にすいた和紙は芸術品だ。現在は重要文化財の修正や掛け軸の表装などに使われる。地元の小学校では自分ですいた和紙で卒業証書を作っていた。ハガキやポチ袋は可愛らしくて人気が高い。


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吉野杉箸の花(吉野杉箸商工業協同組合)

明治の初め、吉野杉材で作る酒樽の材料の端材が捨てられるのを惜しんで考案された割り箸。自然を慈しみ、資源の有効利用の精神は先人から受け継がれている。現在は製材した残りの利用度の低い部分(端材)だけを使う。後醍醐天皇へ献上したり、千利休が客人をもてなす際に自ら吉野杉を削って箸を用意したと伝わる。古くから料理と食す人を取り持つ名脇役だ。


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吉野杉面皮工芸(花井商店)

吉野杉は超密植と多間伐を繰り返して育てることで年輪幅が狭く色目の美しい高級材となる。その年輪を1枚ずつはぎ取り「面皮」と呼ばれる薄い板状の素材を使った小物やアクセサリーをはじめ日本らしい柔らかさが感じられる空間装飾が注目されている。実用だけでなく新たな造形アートとして吉野杉の新たな可能性を切り開いた。


各スポットの番号は「奈良遺産70」冊子と連動しております。

情報提供:奈良新聞社




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